壱岐日報 TheIkinippo 第4158号   平成16年(2004年)3舟26日(金)

        相談役大久保清氏の    逝去を悼んで
                              東京雪州会名誉会長
                                後 藤 圀 丸



 東京雪州会相談役大久保清氏は平成十六年三月十四日午前十一時二十五分東京医療センターで肺気腫にて死亡、八十四才。

、生前の功績
 (1)東京雪州会
 昭和四十八年私は幹事長となり、故人は幹事に就任、五十四年昇格して評議員、六十二年松坂直美氏会長となり、私が副会長兼幹事長に、故人は同時に筆頭副会長に、平成六年私は会長、故人は筆頭副会長そのまま、 私のあと立石公博氏が会長、 故人相談役となり、立石氏 退任、森谷正規氏会長に就 任。故人は相談役辞退を私に対し強力に申し出、私はやむを得ないものと受け容れを決意、執行部に申し入れた。

  この間私は故人から会の運営については先見性を以って的確なアドバイスをもらい、親友として心からなる感謝の念を禁じ得なかった。私の父謙太郎が少式資時公の遺芳顕彰に狂奔しているとき、故人の父大久保熊太郎氏は瀬戸小学校の校長で、私の父を扶けて下さった。この事実は故人も知っており、私にも、暑いとき私の父が大久保家を訪れたことを話してくれた。このようなことから親友の域を超ゆるものがあった。



 (2)南ボルネオ民政官としての活躍と南ボルネオ会結成 故人は戦時中南ボルネオ民政官として部下を指揮活躍。昭和二十九年帰国後南ボルネオ会を結成し、ボルネオ民政部東京支部幹事として活動、年二回ほど総会を開き、交歓会をとりしきる。

二、通夜・告別式
 通夜は三月十八日午後六時〜七時告別式は三月十九日午前十一時〜十二時何れも代々幡斎場で厳粛な中にも盛大に行われた。 斎壇向って右側に喪主長男山口元(山口常光先生の養子)、大久保光子夫人、次男大久保充、長女大久保麻里の各氏他親族多数着席、左側に鬼塚芳寿氏私など三〇人余着席。

                 戒名泰徳院清山浄徳居士

 先ず曹洞宗こうがく院住職他一人により読経が始められ、終って火葬。骨あげ、私もお骨拾いをした。終って初七日法要のあと精進落しで、喪主山口元氏の挨拶があり、そのあと喪主の指名により私が全員の起立を促がし献杯の音頭をとった。


生花鬼塚善文民(故人の弟さん、壱岐市)壱岐市勝本町立石大野伸代氏、椛ス数。スエヒロ芳隆社長千田弘義氏、東京雪州会名誉会長後藤囲丸他多数。

弔電松下電器社長、森谷正規東京雪州会長、壱岐龍造寺植村高義氏、壱岐市在住壱岐中学第二十五回卒業生代表吉田豊他一同ほか多数。

弔問東京雪州会から名誉会長立石公博顧問柴山繁、会計大久保寿雄氏ほか種田泰久氏など。壱岐から「壱岐市教育委員藤本事務所長」鬼塚芳寿氏、ほか一般弔問者あとを絶たず。壱岐市在住壱岐中学第二十五回卒業生吉田豊、長嶋誠、神峰欣一、瀬山正俊、山口八郎の各氏の香典は私(私も壱岐中学二十五回卒)が預かり告別式にて献じ拝礼した。 かくて告別式の帰りのタクシー内で在りし日の故人を偲んで、あれを思いこれを思い感無量なるものがあった。