会長就任にあたってー後藤圀丸
雪州会の歴史が手にとるようにわかりますー全文掲載しました
松坂会長が昨年暮れの役員会の席上健康上の理由で会長職を辞退され、後を私にやってくれとのお話がありました。私はその任にあらずと固辞いたしましたが、会長の申し出もやむを得ないものと受け容れられ、本年になって、会長主催の役員選考委員会が開かれ、松坂会長を名誉会長に、後任会長に私、幹事長柴山繁、幹事長補佐殿川典子、理事兼監事大久保寿雄の各氏が推薦をうけました。また副会長、幹事他の役員については従来どおりに推薦することに決まりました。
十月三十日の総会で、右推薦に基付いて選任決議が行われ、それぞれに就任いたしました。私は副会長、監事さん方も、かわりなくご援助下さる旨の、また顧問、相談役の方、理事、評議員、多くの方々のご承諾を得ておりますので、有り難く思っています。この上は及ばずながら全力をあげ、輝かしい伝統を受け継いで会員の親睦を図り、また遠くにいて壱岐を思う強い郷土愛を以って臨みたいとおもいますので皆様方のご指導、ご支援を切にお願い申し上げます。
当会<当初の名称は雪州会>は三富道臣氏、第五代石田郡長、明治二十九年上京、詩人朽葉の実父ーを会長とし大正初頭<明治末期という説もあり>に創設され、大正末期に二代会長に松永安左エ門翁が就任<松永翁追想起、椿原常太郎>、昭和四十六年六月十六日死去されるまで会長職をつとめられました。松永翁は昭和十二年電力国家管理案が国会をパスしたあと、関係事業全部<百余社>の役員を辞任、埼玉県の柳瀬山荘ですごしておられた頃、各自弁当持参で雪州会が二回催されたということです<追想起>、
私と当会との関わり合いは、戦時中は昭和十五年暮、神田の医師会館での総会にでた記憶があり、名簿も、もっていますが、その後は学徒動員で昭和十八年に満州の部隊に入り、ソ連との戦闘<中隊長代理>、シベリヤ抑留<収容所では七百五十人を預かる日本人の隊長>などがあって、戦後は昭和三十年五月二十七日の総会<松永会長、椿原幹事長>に出た記録があります。その他通常の総会や壱岐の要人が上京されたときの会合に出た記憶があります。昭和三十六年四月から昭和三十九年一月までは雪州会敬老会が数名の方によって、六回開かれております<ー崎村禎子理事の保存記録>。
昭和四十年十一月十七日虎ノ門の共済会館の総会では松永会長<九十一歳>はエレベーターに乗らず、階段をスタスタと上って会場に入られ若い者を驚かされました。松永翁の死去に伴う後任会長を決めるについて<昭和四十六年十月七日>の会議では真鍋、椿原両先輩が互いに謙譲の美徳を発揮、真鍋先生が会長に就任された場面が鮮明に思い出されます。私は昭和四十七年になって会の世話役松坂直美評議員<当時>から是非幹事長を引き受けてくれとの要請があって、固辞したのですが真鍋会長の意向であると強く言われ、その事由も理解できる気持ちからお引きうけする意志を固めたわけです。
正式には、昭和四十七年十二月二日の総会で選任されました、当初は問題もでてきました。これはどんな会でも当然の事と受け止めていましたが、強力にご支援、ご激励下さる方々もあって、力強く有り難かった次第です。
現在は一般会員<ー会員は壱岐出身の者ならびに壱岐に関係ある者という会則は当初から変わっていません>からも激励の電話やお便りを受け、また外出不可能な方が会のためにと賛助金を拠出して下さる役員もあるなどご理解、激励をいただき感激しているところです。
最後に、私がお仕えしてきた各会長方の私に対するご指導には感謝の言葉で一杯です。別格として椿原常太郎翁がおられます。翁は戦時中幹事長、終戦時の山川幹事長が戦災をうけたので戦後幹事長に復帰、後に副会長、顧問、名誉会長となり、一貫して会の発展につくされました。ぜひ会長にとの声が上がったことがありましたが、遂にうけられなかったのです。私は幹事長になってから、しばしばお宅や日本クラブ、東洋経済クラブに招かれ雪州会のお話や、書画の展示なども見せていただきました。
翁は温和にして清廉潔白また極めて円満であり、常にー以和為尊ーを座右の銘としておられ、高潔な人格の持ち主でした。思い出として昭和十八年、十九年時代の雪州会の伝票若干枚を、雪州会のものはこれだけだよと言って下さり、ー雪州会のため頑張ってくれーとおっしゃったこと。壱岐のことにも関心をもたれ昭和五十四年小田原の松永記念館解散に当たり、壱岐の記念館には品物<多くは福岡市美術館へ>よりも修理の費用などもかかるからとお金<莫大な額をおっしゃった>をやることになったから横山孝雄県議に連絡してくれ、とのお電話をいただいたこと、その他会のためご配慮下さったことなど、今回は省略しますが、それは、それは会と壱岐に対する強いものがありました。私はシベリヤ抑留時代の責任者としての尊い体験、それに椿原翁の激励、その精神を体し、おつとめする覚悟です。
<東京雪州会会長就任挨拶から>