| 大正6年(1917年=ロシア革命起こる)雪州会発足時の時代背景(情報源Japan Chronik 日本史) 大正デモクラシーと新中間層の登場 1910年代から20年代にかけては、都市化が急速にすすむ時期である。1889年(明治22年)に当初31市がら出発した日本の都市数は、1920年(大正9年)には81市を数え、総人口の20%が都市に住むにいたった。この背後には東京・大阪など大都市のいっそうの発展とともに、函館、小樽、呉、大牟田など、地方都市の急速な拡大があった、軍事や鉱工業に立脚する都市が急成長し、なかでも四大工業地帯の中心となる川崎、堺、尼崎などの躍進振りはめざましかった。 こうした都市化の進展は、地域の様相を買え、田畑を住宅地とし、商店街を出現させた。と同時に、都市の構造にも影響を及ぼし、会社員、銀行員を中心とするサラリーマン層・・・都市における新中間層を、階層として登場させる。彼らは俸給生活者と呼ばれ、しゃれたつくりの一戸建ての貸家を借り、背広姿で都心に通勤するが、その数は、東京丸の内界隈で3万人東京市の職業人口の約20%に及んだ(1920年) 都市の新中間層 都市の新中間層は、独自の生活スタイルをもち、都市に新たな文化をつくりあげた。彼らはおおむね、主婦と子供による核家族を営み、月給による消費生活をおくる。妻は「専業主婦」となり、時として「女中」を雇い、中流意識をもつことが常であった。家庭生活の実相面にも独自性をもち、和洋折衷のオムレツ、ライスカレー、コロッケを食べ銘々の膳である箱膳に替わって卓袱台(ちゃぶだい)を使用し、一家が卓袱台を囲んで食事をする様式を生み出した。 台所も板の間に座って行うものから、流し台がつき、立って調理をする文化台所を使用した。衣生活での洋装化も子供から始まり、おずおずとではあるが、女性が洋装を着るようにもなる。さらに、家事の能率化、合理化、衛生化・・・家庭の「科学的」運営を意識的に追求もした。余暇の活用がはかられ、ピクニックやハイキングなど、家族連れの行楽をさかんに行うのも、都市の新中間層であった。 街頭のモダニズム 都市の中間層は、アメリカ文化を基調とするモダニズム文化をつくりあげた。都市文化、人目をひく風俗として現出する点にひとつの特徴をもつが、1920年代には、断髪、洋装のモダンガール(モガ)や、ソフト帽子のモダンボーイが街頭を闊歩する。彼らの活動の舞台には、カフェやダンスホールがひしめき、赤い灯、青い灯がまたたく。モダンな盛り場の登場であるとともに、新たな歓楽文化の誕生である。風俗だけではない、映画は、無声映画からトーキーに移りつつあり、モダンな娯楽として人々をひきつけ、娯楽の王者の地位を獲得している。 ナショナリズムの行方 1920年代の日本は、都市化の進展にともない新中間層の形成をみ、モダニズムを基調とする都市型の生活スタイルと新たな都市文化を生み出した。しかし、その底流に存在する心情はモダニズムが華やかであるだけ、満たされぬ想いを抱え込むものとしてあらわれた。都市の文明へのあからさまな憎悪などの出現するなか、「満州」事変(1931年)を契機にナショナリズムが一気に浮上した。1933年の「東京音頭」の大流行は、非常時が叫ばれ街の空気が変容するなかで、故郷を離れて東京で働く人々の郷愁にとどまらず、不安の表明にほかならなかったのである。 |