|
壱岐の島は「古事記」の昔から大八州(おおやしま)の一つに数えられ、「日本書記」では(壱岐の州)または(壱岐の島)となり、いずれも「ゆきのしま」と読ませている。 【和名抄】には【由紀の島】とも書かれ、【万葉集】には【由古の島】姓氏録では【壱伎】と記されている。雪州会の雪は、これら伊岐、由紀,壱伎、壱岐に通じる音字をとったもの。 また壱岐の島の海岸線の白い砂があたかも雪のように見えるところから、昔から壱岐の島を【雪州】と呼んでいたようだ。東京壱岐人の集い「雪州会」 の名は、こうした中から先輩が選ばれたものを受け継いで今日に至っている。 雪州会 の名称は大正六年頃から続いている。東京雪州会 と改称したのは昭和五十七年十一月で、関西地区の壱岐人の集いが【近畿雪州会】となったことと、在京の若い人達の強い要望が改称の理由である。 なお、雪州会は大正六年の創設で、初代会長は三富道臣、二代会長松永安左エ門(終身)、三代会長真鍋儀十、四代会長白川応則、五代会長長岡元、六代会長松坂直美、七代会長後藤圀丸、八代目会長立石公博、第九代会長森谷正規となり現在に至っている。 |
| 東京雪州会史 |