壱岐の「郷土美術館」拝観と壱岐神社、
壱岐護国神社の例崇に参列して

〔帰岐の目的〕
 今回の壱岐行は、平成十五年二月十一日の 「郷土美術館」開館式にやむを得ない事由により出席できなかったので、その拝観を果たすことと、少弐資時を祀る (元寇の亀山天皇、後宇多天皇を併祀)壱岐神社、壱岐護国神社の例祭、墓前祭に参列し玉串を奉納することの二つの目的を達成することであった。

〔行程その一〕
 四月十九日早朝、羽田発空路と海路を乗り継ぎ壱岐郷ノ浦に正午前に到着。壱岐郡連合遺族会顧問坂口義臣先生と夫人の国際ソロプチミスト壱岐会長京子さんの出迎えをうけ、お二人と共に直ちに壱岐郷土館、郷土美術館の見学に向かった。

 壱岐郷土館で館長市山等氏に会い、その案内で先ず壱岐郷土館を見学、ついで小金丸幾久彫刻展示室内を三十分かけて見学した。入口には小金丸先生制作の少弐資時ブロンズ像が設置され、室内に入ると代表作明治天皇像をはじめ、ロサンゼルス展でゴールド賞を受賞した 「土」 や、「女性三人像」「松永安左工門像」「夢」「父の像」(第五回文展)が展示され、この父の像は二十四歳というお若いときの作品で目を見張るものがあった。

倉庫内には天正遣欧少年像などが、蔵してあった。 なお、この展示室 (郷土美術館)は小金丸氏が所蔵の作品寄贈を機に「文化のかおり高い町づくり」を目指す郷ノ浦町が総工費一億四百二十一万七千円を以て建設したものである。 その後、坂口先生夫妻と昼食を共にしながら少弐公像作製のよもやま話などをした。小金丸先生が二月十日来岐の折りにこの店で昼食をとられ「うまい」と喜ばれ、家族はびつくりし、接待役の坂口先生夫妻も喜ばれたという。私もその情景が目に浮かび、東京・五反田のレストランでの昼食を共にしたことを思い出し、ありし日の先生を偲んだ。

 食事のあと郷ノ浦町有安触坂口先生宅を訪問した。少弐資時銅像完成に至る経過で坂口先生のご尽力にむくいるため感謝の意を込めて小金丸先生が坂口先生の胸像(ブロンズ)を贈られたことを知っていたので、その見学であった。もともと応接室に飾ってあると開いていたが、小金丸先生が美術館との打ち合わせで来岐し、平成十四年十月二十七日に坂口氏宅に見えるというので、坂口氏は坂口家豪邸の庭の一角に立派な赤みかげの高い台座の上にこの胸像を設置した。裏面に「幾久作」としるされている。

 坂口邸を辞した後、芦辺港ターミナルビル前にある少弐資時公銅像に参り五たび対面した。案内板のボタンを押し、説明板もあらためて見た。感無量なるものがあった。

〔行程その二〕
 四月二十日、壱岐神社、壱岐護国神社例祭、墓前祭に参列した。正午から祭典が後藤元伸宮司他十名の祭1員各宮司により開始された。献幣使として長崎県神社庁壱岐支部長代理副支部長・自沙八幡神社宮司村田徹郎氏が参向し献幣の儀が行われた。ついで後藤宮司厳かに神前に進み恭しく祝詞(のりと)を奏上。後藤宮司はすべての所作に於いても神様に対する奉仕者としてのおごそかさを感じさせた。

 玉串奉突に移り壱岐郡町村会長・芦辺町長大皿川恵氏、箱崎漁業協同組合長川添隆氏、壱岐郡連合遺族会長山口貢氏・遺族関係者、崇敬者代表・一般崇敬者・瀬戸小学校長、箱崎中学校長ほか島内要職の方々多数、総代長代理馬渡厚氏・各総代など。最後に私も玉串を捧げて拝礼した。

 ついで壱岐神楽(国指定重要無形民俗文化財) に移り四本幣、八爬烏、四剣、猿田彦など八演目が時間をかけて舞われた。 墓前祭に移り、後藤元伸宮司の祝詞奏上、玉串奉納、神楽(神遊び) などで行事を終えた。

〔むすび〕
 私は今回の帰岐で壱岐郷土館、郷土美術館、小金丸幾久彫刻展示室をそれぞれ見学し、芦辺港ターミナルビル前の少弐資時公銅像を拝み五たび対面し、少弐資時公を祀る壱岐神社、壱岐護国神社の例祭、墓前祭にも参列出来たが、私の家族はその達成のために精神的、物質的な協力を惜しまなかった。 かくて私は父謙太郎達の眠る墓前に額ずき目的達成の報告をして、東京への帰路についた。機中では、あれを思いこれを憶い感無量なるものがあった。