留学帰国報告会から

作家生活25周年
 壱岐の大地に立って山(1)

画家、演 英・二さん


 
 郷ノ浦町、画家、漬英二さんは昨年、作家生活二十五周年を迎え、十二月に東京・銀座の画廊「ギャラリー・アートボイント」が企画、プロデュースした個展「NA・MUo3−Drawingが開催され、様々に不安が高まる世相のなかで、濱さんが光りと祈り、慈愛など表現して心癒される作品が安らぎの空間を創造ーと、大きな反響を呼ぶ個展となった。 壱岐の島に住み、「平和」「生命(いのち)「愛」をテーマに、島の大地や吹く風と自然の中に立ち直感で感じとった、内なるものから宇宙的なもの、周囲のあらゆるものからのイメージに、時代の証言とも言えるイメージを重ねながら表現し続けている。 今回十二月の個展では、母親の姿に「戦争とは」、テーマの「平和、生命、愛とは」、そして「人間とは何か」−という、、深い内面への問い掛けが意識され、仏教的な「南無」の心境で、生きられていることへの感謝を込めて描いた作品を発表したという。その濱さんに、精神性のベースともなっている「壱岐の島への熱い思いを聞いた。


壱岐の島は四町合併という歴史的なスケールの大変革を起こして、今年三月に壱岐市となります。 この大きな変革に対して、何か腫れ物に触れるような姿勢をとるのではなく、皆でより美しくとか、どんな人も否定されることなく暮らせるせか、市として落ち着いてしまう前に、思いきって「人」をテーマやキーワードとして、結論をその場で出せなくても、意識的に前向きな姿勢で、情熱を込めて語り合い、様々な取り組的に取り組まれていることを起こし、次の世代、子どもたちに島づくりのヒソトをプレゼソトできるよう、大人の社会づくりをーと思う。

今、大人と呼ばれている人たちの存在はとても重要で、もっともっと人と人の対話、垣根のない本音のコミュニケイショソについて考え、子どもたちのためにも考える必要がある。 海外で作品展などを経験するうちに、小さなコミュニケイショソから、グローバルなコミュニケイショソへと、住民の(もちろん行政も)開けた、意識ある活動の必要性が感じられる。

既にこの島、この国にもアジア、大陸、世界からの風が吹いてきているように感じている。 ここ数年、家に引き込もる子どもたちの問題が社会的にクローズアップされ、大人とされる世代の人たちにも広がっているというが、この島が日本の中でそうした状況にはまらないよう、また、日本という国が世界から眺めた時に、そうなっていないようにと願っている。

 とにかく、個人や社会、地域から国内、世界と「交流」が不足している。断片的に取り組まれていることもあり希望は捨ててはいなが人や自然を否定することなく、オープソな姿で受け入れて取り入れ時に分かち合いながら、自分たちの形、スタイルを生み出してゆくというような、より創造的で、社会にも活かせて、方向づけられ、何かのきっかけとなるような「交流」を、心掛け継続して展開していくことも、様々に望まれているのでは。

 しかし、そうしたアクショソを起こそうにも、「特別な」という視線や多様な縛りに手や心を出せず、素直に自分を表現できずにいたり、方法がわからなかったり、気付けずにいたりする人たちは多く、そこでも何かきっかけをプレゼソトできる人間性豊かな大人の存在が必要であり、深く求められている。 (つづく)


作家生活25周年
壱岐の大地に立って(2)画家 濱 英二さん

昨年、東京銀座で開かれた個展で、漬さん

 その交流、つまりコミュニケーショソは、例えば「今、自分は何をしたいのか」 「何をしているのか」「何を、どのように表現したいのか」−など、自分の内面との対話、海、陸、夜、空、田んぼ、畑−と、身のまわりの自然をゆっくりと体感しながら、感じられることを味わう−といった、普段、あまり気に止められていないようなポイソトで、気づいた時にそのようにしてみるところから始めてゆくうちに、段々と気づく・思い出す瞬間が増え、最終的に何かが形づくられてゆくのではないかと思っています。

自分のようなな創作活動や意識を持ち表現活動をしている人たちは、自分や自然、人との対話ーコミュニケー
ショソやエネルギーの流れのようなものを感じとり、その人独自の作品(表現)を創造しているわけで、表現者と言葉を変えると、人々は皆、「生きる」という表現活動をする「人」であり、芸術的な活動をするいわゆるせ芸術家と同様に、周囲の環境からも「個」に向うことが大切となる。

 「誰かが、誰かに」と自分以外の存在に、身のまわりの事や大切な自分の事など、多くの事を委ねるのではなく、「待てよ」と、自分が当たり前にしていることについて、素朴な疑問を投げ掛けてみることの繰り返しの中から、自信ー自分自身を信じる力が生まれ育ってくる。特に世界の状況が今のように逼迫してくると、「個」だけではなく、国や県などの自治体、企業も、そうしたスタイルが重要で、人が生み出したものとして創造的なコミュニケィショソを、その自信をカに元から見直して、基づくりをする。原点、出発点づくりをする−といった、表現者としての活動も求められている。シソブルな自分たちの生活の中にもーと感じています。

 とにかく生涯学習といった言葉をよく耳にするようになった最近、子どもから高齢者まで、時には専門の助言者らからの、”気づき” へのプレゼソトを受け取りながら、個々の創造性の基礎づくりに、個人はもちろん、学校や行政も継続して、人や自然の本来の美しさや豊かさなどを、時々のテーマに取り組むことが、とても重要と思います。最もこれからの時代で必要とされる「人間性(力)の質」といった視点からも大切でであり、人づくりといった点からも、きっと望まれてるはずで、その「場」を、多くの人たちは見失いかけているのではないかと思いますが、この壱岐の島はまったく素晴しい存在であり、環境=場=を持っていると思います。
      (つづく)

作家生活25周年 壱岐の大地に立ってB     画 家 濱 英二さん

 これまでのことに加え、壱岐市が誕生するにあたり、是非ーと考えるのは、民間、地域のコミュニケイショソや交流、生涯学習などの拠点ともなり、地域文化、アイデンティティの再興、学術的研究などにも利用できる市立図書館の新設。 現在のいわば図書室的な施設から、都会にもあるような、芸術という分野でもそれぞれに一歩踏み込んで対応できる表現、創造的な活動の中心的施設、島民が自由に集まり利用でき、生活から生まれた文化を伝え学べる世代間交流の場、これまでの学校教育、スポーツの振興に加え、文化によるより豊かな精神性の広が
り、しなやかな「個」を育てるスペースといった、これからの時代に最も必要とされる人づくりの核、壱岐市の「ヘソ」となりうる市立図書館の整備が、本質的な壱岐市の発展に関しても必要なのではないか。

 また、そこでは当然の、情報を得るという作業に加え、利用する人たちにより創出される目に見えない広がりといったものが期待される。自分は今、
南無」=なむ=の心境で、描く喜び、自由、生きていることへのありがたさを実感しながら創作活動に取り組んでいます。 芸術家やサラリーマン、商店主、学生−とそれぞれの表現方法は違っていても、この時代に生きていることは共通の認識。芸術家やアーティストと呼ばれる人たちは、もの事が発生するキ(基・起)点を見つめ、考え、自分なりに表現するという活動を日々続けており、そうしやすい環境を自分に与えながら生活しているが、同じ時代、この地球に住み、どの人も生きるという表現をしている以上、我々と同様に、自分にもっと素直になり、人種や言葉、環境などを掘り下げてゆくと、様々に「人」をとらえている見えたり見えなかったりする「枠」というものの存在に気づけるのではないかと思っているのです・・・。

ーそんなことを考えたり、絵を描くという日々の中で、この島の大地や海、自然から受け取る直観、パワーは圧倒的とも思える大きなもので、これまでの作家生活を強く強く支えてくれた要素です。 これからこの壱岐が市になり、人、物、情報、交流ーと様々に、それからの壱岐の島の滴性化について、島民皆が考え、思っていくなかで、より純粋に大地や海、自然の中に立ち、その中で心を開いて素のままの自分にかえり、我々島民を育む舞台であるこの島とのコミュニケイショソを、思い思いのやり方で−と思うし、その大きな力を信じて、自分なら絵を描く時や生活ですが、何かの行動、活動を起こす時の、キ点を形づくる信念、理念としてほしいし、常にそう在りたいと観じています。(おわり)
「情報源:この記事は壱岐日報に三回連載されたものを転載したH16.2.6」