壱岐は日本でもめずらしい散村です。隣りの家まで100メートル、場所によっては300メートル以上ある。発掘倭人伝シンポジュームで聞きました。壱岐にはまだ”弥生の風景”が見られると・・・うーん麦わら屋根だったら・・・ ばってん 納得でーす。一度は訪問したい島です。
玄海灘の冬は厳しい・・西高東低冬型気象・・を避ける知恵があります。屋敷は南向きに作られ北側は背戸山(せどんやま)という潅木で風をさえぎり、庭は北西の風が強ければ強いほどぽかぽかと暖かく日向ぼッこができるのです。また、屋敷には母家・物置家・牛家・隠居の四家で一屋敷を形成しています。現在は家畜は農機具に変わり、食牛として一部農家と専門牧場で育てられ壱岐牛として有名です。おすすめ!NO,1

”島の科学”の著者の一人に壱岐は”蓬莱島”といわれていたと聞きました。なるほどと納得です。いつの頃からかわからないが島の天辺まで耕して作物を作り、365日働ける気候に恵まれ・・五穀豊穣の島・・米・むぎ・あわ・ひえ・大豆・小豆・いも、まったけ(戦前まで)まで、りんごを除く果物すべて・野菜、海の幸 & もっとも大切なきれいな水・水は鎮守の神様の恵みを受けてきた壱岐の島、台風で流された畑の土は”結い=いい”で”かるこ”で”土もち”、して見事に農地を維持しつづけて来た人々。また、田植えのシーズンは田の畦塗り、草きり・・などなど一年中働くことができる豊かな島・・・この姿を空から一度眺めた経験がありますが・・・しばし、呆然とした記憶が甦ります。

 なんと!、まあ!、きれいな段々畑、田んぼだろうと・・”箱庭”そのままでした。西欧人は日本をガーデン・アイランドと呼んだといいますがさもありなんと納得しました。誓って、言えることはこのような農作業をする人間は世界中探してもどこにもいないということは言えると思います。このような島民の唯一の癒しの最終の目的地はイスラム世界の聖地メッカ詣でと同様に壱岐では(日本では)「(
ブローバンドO-ise-Sanナローバンドはこちらお伊勢さんだったのです。「お伊勢参り

 実はこれがいやでいやで、島を飛び出したい気持ちになった若者もたくさんいたでしょう。私もその一人でしたが今にして遠くから思う古里の素晴らしさは、少しばかり世間を見ることによって、納得して見る余裕がでてきました。
自給自足ができる島”壱岐市”の誕生でーす。(管理室・竹富記H16.2.27)

海の幸?