松永翁のユーモア   長岡秀星のユーモア
昨今の笑えないユーモアお人よしニッポン
 日中関係悪化のおり、メールにこんな小話が流れてきた。 「米国人は殴りたいヤツを殴る。英国人は殴られているヤツを殴る。ロシア人は殴られたら殴り返す。中国人は殴られたら抗議する。日本人は殴られても愛しちゃう」。

 もう一つ。「六カ国協議で日本がトイレに席を立ったあとの会話。中国『日本を本気で怒らせてみたいが、難しい。潜水艦で領海に入っても怒らない』。韓国『独島を占拠しても怒らない』。ロシア『北方領土を返さなくても怒らない』。北朝鮮『なら、おれが接ミサイルをぶち込んでみようか』。米国『よせ、それはもうおれがやってみた』」。六十年前の戦争を根気よく恨み続ける中国には、原爆を落とした相手と仲良くなるのは信じ難いらしい。
民主主義は、人間が考え出した最悪の制度であるーもっとも他のすべてを度外視すればだが・・・
サー・ウィンストン・チャーチル
「完璧なヨーロッパ人とは」というジョークがあります。

 ドイツ人のようにユーモアがありー英国人のように料理が上手でーフランス人のように運転が静かでーイタリア人のように規律正しくーオランダ人のように気前がよくースペイン人のように謙虚でーアイルランドの人のようにいつも素面で、などー。

じつは気がつかれたでしょうが、各国民、民族の特色とされている性向や気質ーステレオタイプ(類型化)ではありますがーすべてを裏返しにした小噺なのです。

 他者から見ての短所、欠点を茶化し、笑いあい、互いに楽しんでいる、このゆとりの精神を私はうらやましく思います。

 このジョークに日本人を加えてみるとー「日本人のように自分の意見を明快に表現しー」とでもなりましょうか。

「冗談を半分聞いただけで笑うフランス人」という小噺もあります。「最後まで聞いてから笑うイギリス人、一晩考えてから笑うドイツ人、そのジョークは古いよ、それに語り口がいまひとつだね、と半畳を入れるアメリカ人、そしてニコニコしているがまったく理解していないのが日本人」、と続くのです。

 日本人のユーモア感覚は、国際水準から見るとほぼドイツ人に近いとも言われています。

日本人のユーモア感覚

 では、なぜ日本人のユーモア感覚の発達が遅れている、または遅れていると思われているのでしょうか。欧米、西洋、広い意味でラテンアメリカ東南アジアまで含めて、多くの国々では、人間相互のコミュニケーションの潤滑油として、ユーモアがはっきりした位置をもち、市民権をもっています。とくに大勢の人々に語りかける立場にある人たち、指導者と呼ばれる人たちにとって、聴き手の注意を、つまり心を捉えるための手段としてのユーモアは、語るメッセージの内容に次いで重要なものと見なされています。

 とくに政治家にとって、ジョークは「笑い事ではない」と言われる所以です。それに対し日本の社会では、ユーモアは親しい友人の間でのおしゃべり、同窓会、コンパ、二次会などのきわめて私的な場でしか陽の目を見ません。したがって海外の人たちからは日本人にはユーモアがない、あるのは駄洒落だけだ、と思われがちなのです。

 日本人と世界各国の人たちとの意志疎通、コミュニケーションに、ユーモアといういわば香料を加えたいものです。ですから、「もし皆さんが「ジョウクを理解していないのが日本人」という皮肉を今度耳にされたら、こう言ってあげてはどうでしょうかー

「日本人は、和を尊ぶので、一応ここではニコニコとしておき、あとで皆で会議を開いて、笑うべきかどうか決めます」、と。

 ユーモアにはユーモアで応酬する日本人に、国際社会から歓迎されることでしょう。・・・・と
村松増美先生は<Humor in Leadership>で述べておられます。(サイマル出版会)


笑いの作法迷惑なダジャレの連発

レーガン大統領のユーモア
レーガン氏が大統領の任期を終えて少したったころに、ある児童福祉施設を訪問したときのことである。大勢の子供たちから大きなクッションのプレゼントを受けたレーガン氏は
どうもありがとう。私は大変気に入りました。そしてこれは、失業中の今の私にとって非常に役に立つ
とお礼の言葉を述べた。
また、テレビでの演説中に後ろに座っていたナンシー夫人がイスごとズッコケて、辺りに気まずい雰囲気が漂い始めるや、レーガン氏は平然と「まったくあれは私の演説が受けないときにだけやるっていう約束だったのに」と言い、聴衆はドッと笑い、拍手をした。そうです・・・・
吉田茂翁のユーモア
「吉田先生ご長寿でいらっしゃいますな」「なにか健康の秘訣でもあるのですか?」
〔それはあるよ。だいたい君たちとは食べ物が違う〕
〔で、先生は何を食べていらっしゃるのですか〕
【それは君、人を食っているのさ】と吉田はからからと笑った。
それが、吉田茂がこの世に残した最後のジョークとなった。89歳で昭和42年(1967)の10月20日にその天寿をまっとうした。